SNSは本当に必要か?

文面と関係はないですが、一関工場下の道端に黄色い水仙が咲きました
(文面と関係はないですが、一関工場下の道端に黄色い水仙が咲きました)

先月から、このブログを書き始めていますが、毎日書くことを常に考えるようになり、たかが500字から1,000字くらいのブログですが、作家先生たちが締切りに追われて書斎に缶詰め状態になる心境が、なんだか理解できるような気がしている今日この頃です。

SNSの発達とともに、「息苦しい世の中になったなぁ」と感じている人も少なからずいるのも事実ではないでしょうか。それはなぜか?頻繁に来るメール、鳴り止まない携帯電話。メールが着たらすぐに確認しないと落ち着かない。電話が鳴ると誰からなのかがすごく気になる。インターネットで調べ物をするが今調べなくていいものまで見てしまう。その上、 「Twitter」「Facebook」「Line」と様々なメディアに囲まれているのが現代人。なんだかおかしくないですか?本当は人々の生活を豊かにするために開発されたこれらのSNSですが、どんどん自分主体の時間が削られているようで、結局24時間、息もつく暇がないくらい情報が飛び交う毎日が続いています。

さらに言わせてもらえば、そういう日々に慣れてくると、ちょっとした間ができると逆に落ち着かなくなって何をしたらいいのかわからなくなるのです。そしてまたメールのチェックか、スマホでゲーム。結局振り回され続けて、携帯の画面を見ていないと落ち着かない、自分の頭で自分を見つめる時間もない。最後は、心は荒んで集中力を欠いて、息苦しさを感じてしまうのではないでしょうか。  そして、最後には仕事や勉強にも影響してくるはずです。経済が悪い、学校が悪い、大変だ!と、声高らかに言っている人は、大切な自分の思考時間を他に削り取られているのを理解していないのかもしれません。

あなたは何のために生まれてきましたか?と神様から問われたらどう答えますか?誰もが幸せになるため、人生を楽しむため、仕事を通じて社会に貢献するために生まれてきたと言うでしょう。そしてその人生の目的を達成するために毎日を味わっています、と言うでしょう。人間はだれでも、生まれながらにして幸せになる権利があるのです。

いろいろな媒体で、会社のことを発信する重要性は理解しているつもりですが、ブログを綴りながらも今の私はまだ、経営や仕事で幸せや楽しさを感じることが出来ません。震災で全てを失ったからなのか、知らない土地で裸一貫から事業を再開したからか、なぜなのか考えてみました。本当に自分の頭で会社のことを考えているのか?この丸光という会社は自分の人生にとってどのような存在なのか?経営者として、また一人の人間としてどのように生きていきたいのか?答えはすぐにでませんが、一人静かに、そして真剣に考えることも必要なのかもしれません。生きる目的はネットでも携帯でもなく自分にあるのですから。