熊本の地震による被害、心よりお見舞いを申し上げます

昨夜の熊本県を中心にした「最大震度7」の地震で、被害にあわれた皆様に謹んでお見舞い申し上げます。

東北の方の大半は、5年前の恐怖が再び蘇ったことでしょう。私もとっさに「大津波がくる」と家族の前で口走ってしまいました。幸いなことに今回の震源地は内陸部だったため、津波の危険はなかったのですが、東日本大震災からまだ5年し経っていないのに、再び日本で「震度7」の地震が発生するとは思いもしませんでた。

気象庁が公式に調査を初めて「震度7」を観測したのは過去3回だそうです。1995年の「阪神淡路大震災」、2004年の「新潟中越地震」、そし2011年「東日本大震災」です。今回の地震を含めると、この20年の間に4回も起きているのです。やはり日本列島は地震の活動期に入ったのかもしれませんね。

丸光製麺も震災後は全国からの出資を募り、なんとか2012年12月に営業を再開できたのですが、熊本の方々からも多くの出資を賜り本当に感謝いたしております。私は、今朝出社して直に「出資者名簿」を引っ張り出し2,000名あまりの名簿の中から、熊本県の方々をリストアップして、安否確認のメールをお一人お一人に送信しました。

以下がその文面です。


 

○○ ○○ 様

平素は、ミュージックセキュリティーの被災地応援ファンドでは、大変お世話になっております 株式会社 丸光製麺(旧丸光食品)の代表の熊谷です。 昨夜からの報道によりますと、貴地で大地震が発生し、甚大な被害がでているとのことですが、貴殿のご家族やご自宅、並びに関係の皆様方はご無事でしょうか。弊社におきましても、従業員一同、たいへん案じております。

「最大震度7」という数字をみて、我々もあの東日本大震災の記憶が蘇ってまいりました。あの揺れの大きさは、経験者でなければわからない恐怖感です。幸いなことに今回は津波が発生しなかったのがせめてもの救いです。

あの、震災以降、会社再建のために被災地応援ファンドに参加させていただきその後、貴殿からも多額のご支援をいただきましたことを改めて御礼申し上げます。 何分にも、貴殿のご被害状況も分からず、どうしたものかと思案いたしておりますので、事態が落ち着きましたら、そちらの状況をご一報いただければ幸いに存じす。その際、なにか物資等でお困りのものがございましたら、ご遠慮なくお申し付けください。

本来でございましたら、お伺いしてお見舞いを申し上げるべきところですが、遠方でもあり、何かとお取り込みの最中でもありましょうから、皆様がご無事でご被害が軽微でありますこととを、ひたすらお祈りするばかりです。 まずは取り急ぎ、お見舞い申し上げます。

 

平成28年4月15日

株式会社 丸光製麺

代表取締役 熊谷 茂


そして、15日午後6:00現在、返信いただいたのはお一人だけです。その方からの返信メールです。


 

熊谷 茂 様・丸光ご一同様

このたびは早速のお見舞いありがとうございます。

震源は震度7ですが私の自宅や、職場は10kmほどはなれているだけで殆ど被害はありません。ただ、余震が多く怖くてなかなか眠れませんでした。皆様の気持ちの一端を理解できたようです(規模はけた違いですが)。

震源近辺の被災地区の復旧は何とか大丈夫です。皆様こそまだ道半ば。ご支援のお気持ちだけ頂きます。私も気持ちで東北を支援させて頂きます(時々うどん買います)。

ご心配いただき恐縮です。ありがとうございました。

熊本県○○市 ○○ ○○


 

私は、この数行のメールをいただいた時、本当にホッとしました。短いセンテンスですが、ご家族も、ご自宅も無事だった様子が良く伝わってきます。遠方にいらっしゃるご家族や、ご親類、ご友人などは元気な声を聞くまでは、さぞ、ご心配のことでしょう。

この方は、今まさに、震源地の当事者であるにもかかわらず、東北のことを思って下さり、今後も引き続き丸光のことを支援していくと申し出てくれたのです。私はこの方とは、面識がありませんが、「困った時はお互い様」という日本人の美徳を改めて実感しました。本当に感謝いたします。(うどんまで買って下さるなんて、涙・・・。)

今、当社が出来ることは、5年前の受けた支援の数々に対し恩返しの意味も込て、被災された熊本の方々に丸光の麺を送ることしかできません。是非、皆さんでわっていただければ、丸光も再建した甲斐があります。そして、一日も早い行方不明者の方の救出と、負傷された方々が一日でも早く快方に向かうようにお祈りいたします。それにしても、返信メールのこない方々の安否が気がかりです。