長かったGWもようやく終わり(私は、トータルで3日間しか休めなかったですが)、日本全国、平常に戻りました。今日は、なかなか仕事モードに入れない方も多かったのではないでしょうか。気持ちを切り替えて、エンジン全開といきたいですね。
話は変わりますが、以前、岩手県出身者の総理大臣のことをこのブログで書きましたが、その中一人「斎藤実」の回顧録のことが、新聞に掲載してありました。そして、私も知りませんでしたが、二・二六事件の前夜の話のなども合わせて掲載されていて、本当に人生は「一寸先は闇」、だれも明日のことはわからないものだと考えながら読みました。ましてや、斎藤のような一国を代表するリーダーが違う行動をしていたら、日本の歴史も変わっていたかもしれません。
斎藤の回顧録の一節です。「私は決して偉い人間でも何でもない。全く凡人に過ぎない。ただ何事も一生懸命努力してやってきたつもりだ。そうしているうちに、いつの間にか世間から次々とドエライ椅子に押し上げられてしまったまでだ。」数々の要職を務めた偉人の偽らざる心境でありましょう。斎藤のおもな経歴は<海軍大臣、朝鮮総督、内閣総理大臣、内大臣>当時の国家の中枢の役職ばかりです。
その斎藤も1936年(昭和11年)二・二六事件で、陸軍青年将校の銃弾に倒れ、帰らぬ人となった訳ですが、実は事件の前夜、斎藤は駐日米国大使ジュセフ・グルー(グルーは日本を愛し戦後はポツダム宣言に天皇の地位の保障を盛り込むようにアメリカ大統領に進言した人物です)の招きでアメリカ大使公邸で夕食をとってその後、邸内でアメリカ映画を鑑賞していたのです。当初の予定では中座して千葉にある別荘に行く予定だったそうですが、気心知れたグルーとの夕べに会話がはずみ、結局最後まで映画を観て夜遅く帰邸、別荘行きは翌日に変更したそうです。もし斎藤が予定通りに東京を後にしていたら、二・二六事件の難を逃れることもできていたかもしれません。
歴史に「たら、れば」は、ありませんが、本当に人生は皮肉なものです。いつどこで何が起きるか分かりません。斎藤のような国家のリーダーに限らず、我々のような名もなき市井の民も、「あの時、違う選択をしていたなら」と、思うこともしばしばですが、いつ死んでも、後悔の念だけは、あの世まで持っていきたくはないですね。常に、「過去オール善」「必要・必然・ベスト」でいたいものです。