日本には、自称も含めていろいろな職業の方がいるものだと感心しました。昨日このブログで紹介したのは「快眠探究家」という方でした。今日は「災害ジャーナリスト」と呼ばれる方の話です。「ジャーナリスト」の前に「震災」が付くのですから、それに特化した方なのだろうと思っていたら、「なるほど」と唸らせる指摘をしていました。
今日のラジオで話されていた内容です。「熊本地震」が起きた翌日から現地に入り、昨日まで被災地を取材していたということで、熊本から車で福岡に移動して、それから飛行機で東京に戻ったばかりだといっていました。
今回の地震の問題点が二つあるそうです。まず一つが、地震が来る想定をほとんどしていなかったというのです。熊本での過去の大地震の歴史を紐解けば、1800年代にまでさかのぼらなければいけないようで、現実として、この地域の差し迫った問題は「風水害」だったのです。そういわれれば九州西部は、沖縄に次いで台風の襲来が多いところです。その為、風雨で屋根が飛ばされないように、本州の一般的な家より、屋根が丈夫で重く出来ていたそうです。その為、それが仇となり仮分数な屋根が重い家の多数が地震の揺れに耐えきれなくなり崩壊しそうです。
そして、もう一つは避難所を運営するマニュアルも人も、これまた、風水害用のものが主体で、地震用はあることはあるが、全く訓練されていない状況で、実質、机上の空論になっていたようです。そして、交通手段の遮断により、まだ、行政の方の体制が整っていないため、ボランティアも受け入れていないようで、東日本大震災の際に活躍した方々がまだ、現地に入れていないのが問題のようです。その結果、自衛隊や、警察が不慣れな炊き出しや物資輸送に追われ、本当にほしいものとのミスマッチが起こっていると指摘していました。
東日本大震災後は、官民あげて「南海トラフ地震」を想定して、防災対策をしていたと思っていましたが、やはり、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」なのか、地震なんかくるわけないと高を括っていたのか、油断があったことは否めません。
5年前、東北で起きた戦後最悪、最大の災害の教訓はどこにいったのでしょうか。我々自身も5年の月日が経ち、過去のものとなっていないか、もう一度あの時の苦労を思い出し、対策を見直さなければならないのかもしれません。我が家でももう一度、非常食やラジオ、懐中電灯などを再確認しました。