東日本大震災の悲劇が今尚・・・

先週の14日に起きた「熊本地震」ですが、この一週間は新聞もテレビ・ラジオも、そして、このブログも地震一色でしたね。「震度7」が二日間に二度も起きる異常事態ですから致し方ないのですが、今日も熊本のニュースが紙面の大半を割いて報じられています。その中で私が一番印象的だったのが、5年前の東日本大震災で、児童74名、教職員10名が死亡、行方不明になった宮城県石巻市の「大川小学校」の裁判の記事でした。

この「大川小学校」の大惨事は、度々報道等で伝えられているので、詳細は割愛しますが、震災後5年が経っても、事実を公表しようとしない石巻市の姿勢にはどうしても疑問が湧いてきます。唯一生き残った男性教務主任に対し、遺族側は真実を明らかにするようにと証人尋問請求をしたのですが、結局裁判所がこれを却下しました。理由は、この生き残った男性教務主任が心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断されたことなどを考慮した結果だというのです。そして、この教諭の証言がないまま、裁判は6月29日に結審することが決まりました。

この教務主任は津波で犠牲になった教頭に次ぐ立場の方で、震災時の状況を遺族に直接語ったのは2011年4月9日の説明会の一度きりだったそうです。その後、病気療養のため面会できず、市側は「トラウマ(心的外傷)体験を強引に聞き出せば二次被害を生む」と尋問に反対していました。訴状によると、この教務主任は震災発生後の約45分間、児童に校庭で待機するよう指示した、まさにその本人なのです。

この裁判を起こした遺族側は、亡くなった児童の父兄の方々が全員参加した訳ではありませんでした。裁判を続けると心の整理がつかないとか、悲しみがまた押し寄せてくるとかの理由で原告団に名を連ねるのを辞退した方もいたと聞いています。しかし、最愛の子供の最後の様子をどうしても知りたいという気持ちは全員が思っているはずです。

遺族側は教務主任の尋問を「児童の最期を究明する唯一の手段」とし、実施を要望してきたのですが、結果要望が却下されました。その後の記者会見で、遺族の父兄からこの教務主任に対し、こんな発言があったそうです。「私たちの前で素直な気持ちを聞かせてほしい。」「教務主任が心を病んでいる最大の原因は真実を語っていないことだ。」「子どもたちのつらさ、自分が生き残った意味を考えてほしい。」「息子が大好きだった先生。今からでも遅くない。本当のことを話し、第二の人生をやり直してほしい。」

この「大川小学校」の悲劇を最初に知ったときは、当時、同じ小学生の子供を持つ親としましては、とても他人事とは思えない程、身を引きちぎられる思いでニュースを見ていました。そして、当事者の親御さんの声を聞くたび、私も涙したのを覚えています。今からでも遅くありません。この教務主任には、亡くなった子供達のためにも、その親御さんのためにも、そして、なにより自分のためにも、真実を話して欲しいと切望します。