今日の新聞を見て私は思わず、またまた自分の無知さ加減に絶句してしまいました。
120年前の今日、1896年(明治29年)6月15日は「明治三陸地震」が発生した日だったのです。三陸に住む人間として、また、災害を後世に伝えていかなければならない者として、本当に恥ずかしい話です。
夜に発生した地震は三陸沖を震源とする「マグニチュード8」クラスの地震。地震発生後の津波の最高到達地点は現在の大船渡市三陸町で38mを記録。この記録は現在でも国内最高ということです。
死者の数は2万2千人で、5年前の東日本大震災よりも多かったとされています。地震発生時の震度は震度4から3程度だったようで、この程度の震度なら大津波がくるとは思ってもいなかったといいます。そして、津波の襲来も夜間だったことも災いし、更に当時は「日清戦争」直後の戦勝祝賀行事と重なったことで、が大幅に遅れたとされています。
そして、昨日6月14日は「宮城・岩手内陸地震」から8年目でした。こちらも、私は日付さえも忘れていました。この地震も最大震度は「6強」で、私が住んでいる気仙沼市でも相当な揺れを感じたのを覚えています。幸いにして震源地が内陸の為、津波の心配はなかったですが、震源地近くの一関市では橋が崩壊するなど、土砂災害が凄まじい状況でした。
我々は東日本大震災の当事者として「3.11」のことは一生忘れることはありませんが、2か月前の熊本地震をはじめ、様々な災害に苦しんでいる人々が世界中にいます。被災者の気持ちは被災者でなければ分からないことが必ずあります。それだからこそ、人として出来る限りの援助は惜しまないように心掛けたいものです。