二極化

昨日は、地元スーパーの方々が丸光製麺・一関工場に工場見学にお越しになったことを書きましたが、その時の話の内容をもう少し書きます。 “二極化”の続きを読む

「チラシ」と「フライヤー」の違いわかりますか?

画像は昨年暮れから郵便局さんの窓口に置かれた丸光のふかひれラーメンの「チラシ」or「フライヤー」?
画像は昨年暮れから郵便局さんの窓口に置かれた丸光のふかひれラーメンの「チラシ」or「フライヤー」?

 今日の丸光製麺一関工場界隈は一日中、肌寒い雨でした。一枚羽織るものがほしい程でしたので、おもわず暖房に火を入れました。道すがらの田んぼでは田植えのシーンをよく見かけるようになった当地方ですが、時折、今日のような寒の戻りがあるので、まだ暖房器具は片付けられません。 “「チラシ」と「フライヤー」の違いわかりますか?”の続きを読む

「穀雨」の次は「立夏」

(画像は葉桜になった一関工場の山桜)
(画像は葉桜になった一関工場の山桜)

今日の気仙沼や一関地方は朝から降り出した雨が一日中降り続けました。「春雨じゃ、濡れて参ろう」と、時代劇のセリフではありませんが、今日は、とてもそんな気持ちにはならないぐらい寒い一日でした。言わば「寒の戻り」ですね。 “「穀雨」の次は「立夏」”の続きを読む

新年度はなぜ4月?

文面とは関係ないですが、一関工場土手のふきのとう。こんなに開くまでまったく気づきませんでした。これでは「ばっけみそ」には使えません
文面とは関係ないですが、一関工場土手のふきのとう。こんなに開くまでまったく気づきませんでした。これでは「ばっけみそ」には使えません

今日は何故4月が新年度になったのかについて考察いたしましょう。実は、今日の通勤の車の中でラジオから流れてきた話の内容です。

ちなみに海外では決して4月が新年度とは限らないようで、例えば欧米などでは学校の入学式は9月に行う事が多いそうです。日本が4月を新年度のスタートとしているのは、2つの要因があったようで、ひとつは明治時代の予算編成がきっかけでした。 “新年度はなぜ4月?”の続きを読む

岩手県出身総理大臣は4人?5人?

昨日、仙台の桜が平年よりも10日も早く開花したようです。桜前線もいよいよ宮城県北に上陸してきました。

弊社の一関工場があるのは岩手県です。工場では岩手の地元紙も購読していますが、今日の記事に私は顔面蒼白となりました。「岩手県出身の内閣総理大臣は実は5人!?」という記事が載っていて、最後まで読み終わった時には自分の浅学を恥じました。 “岩手県出身総理大臣は4人?5人?”の続きを読む

桜を見るとあの日のことを思い出す

丸光製麺・一関工場の今日のヤマザクラの様子。まだ、数輪の開花です
丸光製麺・一関工場の今日のヤマザクラの様子。まだ、数輪の開花です

今日ついに宮城県に桜前線が上陸しました。宮城県南の桜の名所として知られる白石市の白石城のソメイヨシノが開花したそうです。去年より2日早く、過去10年間で最も早い開花となったそうです。城内では、彼岸桜やしだれ桜も咲き始めたようで、4月2日からは、夜間、ライトアップも楽しめるそうです。 “桜を見るとあの日のことを思い出す”の続きを読む

名古屋からの暖かいご支援

工場内で焼きそばを製造中
工場内で焼きそばを製造中

今日の弊社・一関工場付近の最高気温は15℃まで上がり、桜の開花の頃の陽気になりました。今年は桜前線の北上も例年になく早まるのではないでしょうか。

今日の丸光の工場内は焼そば一色に染まりました。というのも業務用の焼きそばが200kgあまり注文が入ったからです。 “名古屋からの暖かいご支援”の続きを読む

3.11

午後2時46分震災発生時刻、気仙沼方向を向いての黙祷
午後2時46分震災発生時刻、気仙沼方向を向いての黙祷

絶望の日。決して忘れることのできない日。生きていることに感謝する日。人生が劇的に変わった日。思い出したくない日。etc・・・・・。今日という日を形容する言葉は人それぞれだと思います。

一言で表すのは非常に難しいのですが、あえて表現するとすれば私の場合「生かされた日」になると思います。当日のことをよく思い出してみると本能なのかはわかりませんが、全ての行動が生き抜くために行動していたように感じます。当時は私は専務の役職でしたが、今でも地震後の判断は間違っていないと確信していることが一つだけあります。それは、全従業員と両親を助けたことです。今までに経験したことのない地震の揺れにより必ず津波が来ると直感し、工場内にいる従業員が心配になり様子を見に行くと、機械は横転するは、天井は落ちてくるは、床は亀裂が入るやら、悲惨な状況でした。後片付けには何日かかるだろうという状況でしたが、従業員に対して「一切手をつけるな!今すぐ自宅に帰りなさい」と指示したことです。この一瞬の素早い対応が弊社の全従業員が一命をとりとめる結果となりました。そして、私の両親も地震で腰を抜かしていたのですが、なんとか車で逃がして事なきを得たのです。気仙沼の丸光製麺(当時は丸光食品)の周りには住宅や水産会社など所せましと密集していましたが、後に聞いたところ、どの家もどの会社も誰かしらお亡くなりになっているとのことでした。私は会社にいた全従業員と両親の命を奇跡的に救ったと今でも思っています。 “3.11”の続きを読む