丸光再建物語
丸光製麺は再建まで1年8ヶ月という長い年月を費やしました。
かなり遠回りしましたが、その分の応援を頂き
「みんなのうどん屋」として生まれ変わりました。
これまでの流れを、専務 敬子がお伝えいたします。
震災前
丸光製麺(当時:丸光食品)は、50年以上続いた、気仙沼唯一の製麺会社でした。東京から嫁入りし、丸光の一員として認めてもらうべく開発した商品「ふかひれラーメン」が宮城県ものづくり大賞・優秀賞を受賞。全国規模の会社への脱皮を図っていました。
大震災発生
海のそばにあった事務所兼工場、そして製麺機や車などすべて流されました。「ふかひれラーメン」を購入頂いた8,000人の顧客名簿も…。事務所2階にいた現社長・茂の両親は逃げ遅れ、大火事のなか、近隣のビルで3日間救助を待ったそうです。
震災直後
ミュージックセキュリティーズより、市民ファンドの利用をご提案頂きました。でもNHKのドラマ「ハゲタカ」を見すぎていた私は恐怖におののき…。敬子「ハゲタカが来た!会社が乗っ取られるかも…!」茂「乗っ取られるほどの会社じゃないから安心しろ」
2011年4月25日
8,000万円を目標にファンドの募集を開始しました。新工場のオープン目標は、2011年の11月1日。当時はまだ金髪でした…。
2011年夏
山が多い気仙沼では、工場用地となる水平な土地がなかなか見つかりませんでした。やっとの思いで1カ所確保しましたが、工場建築費を合わせて3億5千万円かかることが分かり、その土地での再建を断念しました。
2011年秋
ファンドに加え、不足分の資金調達に走りました。でも被災した土地が担保に認められず、追加融資を受けることが出来ません。「話にならない」と交渉に応じない金融機関も出てきました。こんな被災地の実情を伝えようと、全国で講演会をスタート。髪の色も茶色にしたのに「敬子さんのお人柄が面白い」となぜか大ウケ。私の人柄って…一体なんですか?!
2011年冬
岩手県一ノ関市に空き工場があることを知り、レンタル交渉をスタートしました。しかし必要な資金は一向に揃いません。国や自治体の助成金は、水産系などの地場産業に優先的に回され…気仙沼に製麺業者は必要ないのでしょうか?!
2012年1月
出資者とともに丸光の再建方法を考える「ファンミーティング」、出資者の方に催事をお手伝い頂く「1日社員」をスタート。たくさんの人に支えられていることを実感し、丸光は「みんなのうどん屋」 だと思い始めました。「ファンド」って「ハゲタカ」じゃなくて「“ファン”が募ったお金」だったのかも!
2012年2月26日
一ノ関にある元牛乳工場のレンタル契約締結。震災から1年、やっと次のステップに進めたことを喜ぶと同時に、工場跡地で思いを新たにしました。
2012年春
丸光に出資している人って…どんな人?!出資者の素顔を伝える「セキュリテラジオ・丸光ファンリレートーク」スタート。5月には公開生放送も。
2012年6月
新宿伊勢丹で「はっと」を販売。販売員も出資者なら、買いに来た人も出資者!丸光出資者の間で、「はっと」がひそかなブームに。
2012年10月1日
新工場プレオープン。沖縄の出資者の方から、大漁旗を送って頂きました。「はっと」レシピ制作企画スタート。
2012年11月15日
新工場稼働開始。ついに「みんなのうどん屋」始動!!