昨日、仙台の桜が平年よりも10日も早く開花したようです。桜前線もいよいよ宮城県北に上陸してきました。
弊社の一関工場があるのは岩手県です。工場では岩手の地元紙も購読していますが、今日の記事に私は顔面蒼白となりました。「岩手県出身の内閣総理大臣は実は5人!?」という記事が載っていて、最後まで読み終わった時には自分の浅学を恥じました。
てっきり、私は岩手県出身総理大臣は4人だと思っていたからです。平民宰相で政党政治の立役者「原敬」、二・二六事件で反乱軍の銃弾に倒れた「斎藤實」、海軍出身で終戦後も最後の海軍大臣として日本海軍の最後を見届けた「米内光正」、そして、戦後、記憶に新しい所ですが、山田町出身、宮古水産高校出身の「鈴木善幸」、この4人だと思っていたのです。
しかし、「米内光正」と「鈴木善幸」の間にもう一人いたのです。それがあのA級戦犯の「東條英機」だったのです。彼のことを今更説明するまでもないですが、この記事では、実は岩手県盛岡市出身となっているのです。Wikipediaなどで調べてみると東京都出身になっているのですが、記事によると、東京で生まれ育った「東條英機」ですが、祖父も父親も南部藩士として仕えた、立派な岩手県人で、東條家の墓は今も、盛岡市の久昌寺にあるそうです。
そして、戦前の岩手の人たちは、「原敬」や「米内光正」よりも郷土の誇りとして敬っていたそうで、太平洋戦争直前に東條に権限が集中していく中、内閣総理大臣兼陸軍大臣、外務大臣、文部大臣、商工大臣、軍需大臣と兼任のイスが増えるたびに声援を送っていたそうです。そして、終戦。皆さんご存知の「極東軍事裁判」いわゆる「東京裁判」ではA級戦犯として、絞首刑の判決が下り、今は靖国神社に合祀されています。明治陸軍が生んだ秀才は戦後、郷土の誇りから一転してA級戦犯、岩手県出身首相の声もいつの間にか消えて、東京都出身首相の方に名前が載ることが多くなったようです。
しかし、東條家の方から言わせればこれはあまりにもひどい仕打ちではないでしょうか?歴史に「たら・れば」は、ないといいますが、先のあの戦争も日本が勝っていたなら、やはり「郷土の誇り・おらほの大先生だべ!」となっていたことでしょう。時の流れというものは本当に恐ろしいものです。本人の意思に関係なく、世の中手のひらを返したように「天国から地獄」へと人々の心は流れていくものなのです。
因みに、東條英機を岩手県出身に数えると東京出身者(高橋是清、近衛文麿、鳩山一郎、菅直人)より多い5人になって、山口県出身の8人(伊藤博文、山県有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三)に次ぐ全国第2位になるそうです。
私も学の浅いところ露呈してしまいましたが、今日で一つ賢くなったと考えることにしましょう。人生一生勉強ですね。勉強ついでに調べてみました。「私の住む宮城県出身の総理大臣は何人かなぁ~?」残念ながらゼロでした。