今日の宮城県の地元紙に「サッカーの練習場が足りない」という見出しを見つけて思わず身を乗り出して凝視してしまいました。以前にこのブログにも書きましたが、我が家の双子の息子はいわゆる「サッカー少年」なのです。私に言わせれば、三度の飯よりサッカーが好きで、お気に入りのスパイクを抱いて寝るほどなのです。
この記事には、仙台市のサッカースポーツ少年団のことが書かれていました。要約すると、東日本大震災と、昨年9月の宮城豪雨が追い打ちをかけ、仙台市内のサッカー場が相次いで使えなくなり、関係者が「グラウンドの予約競争は激化の一途」と嘆いていますが、市は静観の構えに徹しているとのこと。仙台市内の主な使用不能なサッカー場は、若林区・海岸公園運動広場、同区・ニッペリア、宮城野区・扇町4丁目公園、同区・岩切河川敷公園、青葉区・牛越運動公園ということです。宮城野区の岩切河川敷公園にいたっては、私の息子たちが小学校4年生の時の県大会の会場となった場所で、所属チームが悲願の1勝を勝ち取った思い出のグランドだったのですが・・・。
使用不能ということは、その結果「施設が充実している泉区のシェルコム仙台や泉サッカー場に利用希望が集中している」と多くの関係者が指摘しているようで、市内5区の選抜チームが勢ぞろいし、シェルコムせんだいで毎年2月に開く「仙台チャンピオンズカップ」などは、主催する市サッカースポーツ少年団協議会(宮城秀夫理事長)が大会1年前に施設利用を申請したが、使用許可が下りず、やむを得ず、ことしの大会は松島町に会場を移して開催したそうです。宮城理事長は「仙台の名を冠した大会なのに、他都市で開催することになるとは」と肩を落としていた様子でした。しかし、それに追い打ちをかける市の態度がこれまた不可解。市への後援依頼は「開催地が仙台市内でない」として却下されたそうです。施設利用は認めず、返す刀で後援もできないとする市スポーツ振興課の対応に「納得できない」と宮城理事長の怒りは収まらないとのこと。
また、他県のチームを招待して8月の仙台七夕期間中に開いていた「仙台七夕杯」は震災以降、若林区の海岸公園運動広場、ニッペリアから泉サッカー場に会場を変更しましたが、七夕の期間中は泉サッカー場の使用希望が立て込み、予約を断念。7月に前倒し開催せざるを得ず、試合とセットで仙台七夕をPRしようという本来の開催趣旨が損なわれてしまったそうです。このシェルコム仙台と泉サッカー場は現在、週末の予約が1年以上先まで満杯の状態。だが、市スポーツ振興課は「両施設は以前から利用率が高かった。災害の余波で予約が殺到したとは言い切れない」と受け流しているそうです。
この記事は、なにも仙台市に限ったことではありません。恐らく、被災地では多かれ少なかれ同じような状況だと思います。我々の住む、気仙沼市も、中学校の校庭にはまだ仮設住宅が立ち、中学生の部活動は小学校の校庭を借りておこなっているのが現状です。復興公園を整備し、野球場や、サッカー場などの計画はあるようですが、あと、何年かかることやら、今の子供達はある意味、震災復興に隠れた犠牲者のようにも思えてきます。
2020年東京オリンピックに向けてメイン会場である「新国立競技場」の建設問題が昨年から世間を騒がせているようですが、当初予算が3000億円で高すぎるとか、2000億円以内ならいいとか、聖火台はどこに設置するだとか、国民を愚弄したような議論ばかりしているようですが、よそのデザインを真似するようなところにお金を出すなら、そのうちの少しでもこのような被災したグランドを整備するのに役立てることはできないものでしょうか?きっと大多数の日本の納税者なら、グランド整備に予算を回しなさいと言うと思うのですが、恐らく永田町の先生方はこの夏、噂されている衆参同時選挙で頭がいっぱいなのでしょう。
ちょっとオーバーかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、このような状況が長期化するならば、私は「日本国憲法にさえ抵触する恐れがあるのでは?」と思うようになってきました。
<日本国憲法・第十四条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。>
どうでしょうか?改めて読んでみてください。被災地の皆さんは本当に平等に扱われているでしょうか?差別されていないでしょうか?
最後に、
<日本国憲法・第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。>
戦後の日本はこの憲法のもと、国民皆が一致団結し奇跡の復興を果たしたのですが、今は子供達が歓声をあげ、伸び伸び遊ぶ場所もなくなった国になってしまいました。