昨日のこのブログでは「大川小学校」の裁判に関する書き込みをしましたが、今日は、岩手県釜石市の命を救った話を紹介します。
文部科学省のモデル事業で、防災教育を徹底した釜石市では東日本大震災で、ほとんどの小中学生の命が守られました。特別な防災教育を行う時は、必ず参観日と決められていて、保護者も専門家の話を聞いていたそうです。そこで、地震の時、子供が心配で家に戻ったりせずに、それぞれ各自が全力で逃げることを家族で約束する大切さを教わります。これが、三陸地方の言い伝えで俗にいう「津波てんでんこ」と言われるものです。そして、保護者と下校中、防災無線を合図に避難所に向かう実践的な訓練を行っていました。
そして、2011年3月11日、釜石市内の小学6年生の体験談です。学校から帰って、友達の家でゲームを楽しんでいた時、地震が発生。友達の弟だった小学1年生数人もその場にいたそうです。最初は「本棚とか、倒れてくるものがないところで集まって、揺れが収まるのを待ちました。」と、まずは、身の安全を図りました。大人がいなかったので、6年生が小さい子に「こっちに来い!」と声をかけ、1年生も含め15人で、避難所だった小学校に向かい難を逃れたのでした。
その後、この6年生たちの感想を聞いてみると「1年生の子供達は避難所がよく分かっていなかったので6年生の僕たちが誘導しました。」更に「友達の中に義足の子がいて、あまり早く走れなくて遅れてしまうと思ったので、仲間でその子をおんぶして逃げました」とも。なんとあっぱれな6年生でしょう。大人でもここまで出来る人は果して何人いるでしょうか?
災害は、いつ、どこで、どんな時に起きるか分かりません。その場に学校の先生や親のように行動を支持してくれる大人がいない場合も十分に考えられます。「釜石の奇跡」は今日一日で起こった訳ではありません。地域と学校と家庭が一致団結して防災教育を行ってきたからこそ、大切な子供の命を守り、あの大震災を乗り越えられたのではないかと思います。
2006年から内閣府が始めた「一日前プロジェクト」。災害で大変な思いをした人は「災害の一日前に戻れたらこれだけは備えておきたかった」と必ず後悔します。そんな悔しい思いの数々を、全国から811の実際の体験談を集めてHPで公開しているそうです。
自分の身は自分で守る!そして、決して後悔の涙を流すことのないように、常日頃の備えだけは心がけたいものです。