東日本大震災から3か月半あまり経った5年前の2011年6月29日は、丸光製麺/一関工場のお隣の平泉町にある「平泉の文化遺産」がユネスコの世界遺産に登録された日です。
被災直後という、まだまだ混乱が続く中での数少ない朗報とあって、岩手県の方々にとどまらず、多くの被災者を勇気づけたニュースだったことは記憶に新しいところです。
そして、今から327年前に平泉を目指して旅をした俳人がいました。
「五月雨の 降り残してや 光堂」松尾芭蕉その人です。この句は奥州藤原三代の栄華をしのび、中尊寺の金色堂を見て詠んだものです。そして平泉に到着したのが、現在の暦でいうと「6月29日」に当たるというのだから、歴史というのは粋な計らいをするものだとつくづく考えさせられます。
現在では、宮城県北から岩手県南そして山形方面への「奥の細道・バスツアー」を企画する動きがあるそうです。考えてみますと、芭蕉が旅した街道も地域の立派な観光資源です。多くの歴女も含め、観光客が来ることを願ってやみません。
芭蕉は平泉の後、山形の山寺や秋田の象潟を経て、金沢、大垣まで旅を続け、あの有名な紀行文「奥の細道」で数々の名句を残したのはご承知の通りです。
今、記憶にあるところでは「夏草や 兵どもが 夢の跡」「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」「五月雨を 集めて早し 最上川」・・・。
高校生の頃はもっと暗記していたはずでしたが・・・(汗)。