明治は遠くなりにけり

ほこりをかぶって使われなくなった。我が家の家庭用エスプレッソマシン。やっぱりコーヒーはミルでじっくり挽きながら香りを楽しみたいものです。
ほこりをかぶって使われなくなった。我が家の家庭用エスプレッソマシン。やっぱりコーヒーはミルでじっくり挽きながら香りを楽しみたいものです。

本当に世の中は広い。そして時には、もの凄い人物がいるものだと感心してしまいます。

とある雑誌に掲載されていたのですが、104歳の現役経営者が東京・西荻窪にいらっしゃるそうです。コーヒー豆の輸入・焙煎店「アロマフレッシュ」を営む安藤久蔵店主がその人です。開業は85歳の時で、以来、およそ20年間、コーヒービジネスを一人で切り盛りしてきているというから驚きです。明治、大正、昭和、平成の四つの時代を生き抜いている安藤さんはどのような方なのか、読み続けてみると、良きも悪しきも「明治生まれの気骨ある日本男児」そのままの方のようです。

明治44年(1911年)千葉県生まれ。慶應義塾大学理財科を卒業し、三井物産を経て、家業の網元を継ぐようになり、50歳で引退し、学生時代からの趣味の登山に没頭するようになったそうです。国内外の山々にかたっぱしから登頂し、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロに挑んだ際には、地元のポーターたちと親しくなり、毎年のように行き来するようになったとのこと。そんなある時、栽培しているコーヒーを日本でも売ってくれないかと頼まれ、「よし分かった、やろう」と、85歳の起業に踏み切り、現在に至るとのことです。

「人の喜ぶことをする。これが大事」「コーヒーをやっていると若い人が寄ってくる。それが若さの秘訣」「辛抱した人が必ず勝つと、年をとって初めて分かる」「今でも自転車でコーヒー豆を届ける。骨を折ってギーコギーコ、こいでいくと、最後の一粒まで粗末にしてはいけないと思ってくれる。それが狙い」「山や商売をやって分かるのは、人生は金じゃない。感動が一番大切だということです」etc。安藤さんの言葉には、自らが実践して気づいた、仙寿の経営者としての知恵がいっぱい詰まっていますね。

昭和初期にカフェを知り、このカフェで小津安二郎や太宰治と知り合ったといいます。阪急東宝グループ創業者の小林一三氏や、「メザシの土光さん」で知られる土光敏夫経団連元会長をはじめ経済界のお歴々とも親交があった様子で、「横浜の土光さんの家まで銚子沖で獲れたイワシをよく持っていったものだ」と思い出話も豪快に披露する正に「明治生まれの気骨ある日本男児」。

そういえば、私の祖父も明治39年生れ。生きていれば今年で「110歳」です。岩手県陸前高田市の生まれで、支那事変(現在は広義に日中戦争)に出兵し、その後は船大工として生計をたてていましたが、一念発起し、気仙沼に移り住み昭和33年に丸光製麺を創業しました。今となっては、どんな思いでこの「丸光」を創業したのか知る由もないのですが、年に数回、墓前で語りかけるしかありません。「じいちゃん!どうしたらいい?」昭和生まれの軟弱な日本男児が語りかけます。