めんの製造工程です。

今日は一日中、工場の中に入り粉だらけになりながら、めんの製造をしておりました。

製造工程を簡単に説明しますと、ミキシング→複合→熟成→圧延→切り出し→計量→包装と、なるわけですが、大多数のかたはこれだけではなんのことかわかりませんよね。 “めんの製造工程です。”の続きを読む

やっぱり桜も人も目黒にかぎる!

目黒ではなく丸光の工場脇の土手のヤマザクラが開花しました。やっぱり今年は早い!
目黒ではなく丸光の工場脇の土手のヤマザクラが開花しました。やっぱり今年は早い!

昨日、開花宣言のでた東京ですが、今日は震災後様々な支援を受けている東京・目黒区の方々とご縁をいただきました。

丸光のIT関係をお手伝いをしていただいてる方と、中目黒で月2回定期的にマルシェを開催していらっしゃる「中目黒村」の村長こと三浦謙一さんが繋がったのです。話を伺うと聖敬会の平田事務局長とも懇意にしていただいているとのことでした。
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名古屋からの暖かいご支援

工場内で焼きそばを製造中
工場内で焼きそばを製造中

今日の弊社・一関工場付近の最高気温は15℃まで上がり、桜の開花の頃の陽気になりました。今年は桜前線の北上も例年になく早まるのではないでしょうか。

今日の丸光の工場内は焼そば一色に染まりました。というのも業務用の焼きそばが200kgあまり注文が入ったからです。 “名古屋からの暖かいご支援”の続きを読む

農協さんへのお願いです。

今日の弊社、工場近辺は最高気温が10℃以上になり、暖かさを実感できる一日でした。明日はさらに気温が上昇するとのことです。暖かくなると気分も軽やかになります。

軽やかになったからではありませんが、今日は一関駅周辺に用事があり、車を爽快に走らせていました。途中に岩手県一関市、平泉町をエリアとする、「JAいわて平泉」のATMがありましたので通帳記帳しました。そしてもう一冊、弊社には違うJAの通帳があります。 “農協さんへのお願いです。”の続きを読む

3.11

午後2時46分震災発生時刻、気仙沼方向を向いての黙祷
午後2時46分震災発生時刻、気仙沼方向を向いての黙祷

絶望の日。決して忘れることのできない日。生きていることに感謝する日。人生が劇的に変わった日。思い出したくない日。etc・・・・・。今日という日を形容する言葉は人それぞれだと思います。

一言で表すのは非常に難しいのですが、あえて表現するとすれば私の場合「生かされた日」になると思います。当日のことをよく思い出してみると本能なのかはわかりませんが、全ての行動が生き抜くために行動していたように感じます。当時は私は専務の役職でしたが、今でも地震後の判断は間違っていないと確信していることが一つだけあります。それは、全従業員と両親を助けたことです。今までに経験したことのない地震の揺れにより必ず津波が来ると直感し、工場内にいる従業員が心配になり様子を見に行くと、機械は横転するは、天井は落ちてくるは、床は亀裂が入るやら、悲惨な状況でした。後片付けには何日かかるだろうという状況でしたが、従業員に対して「一切手をつけるな!今すぐ自宅に帰りなさい」と指示したことです。この一瞬の素早い対応が弊社の全従業員が一命をとりとめる結果となりました。そして、私の両親も地震で腰を抜かしていたのですが、なんとか車で逃がして事なきを得たのです。気仙沼の丸光製麺(当時は丸光食品)の周りには住宅や水産会社など所せましと密集していましたが、後に聞いたところ、どの家もどの会社も誰かしらお亡くなりになっているとのことでした。私は会社にいた全従業員と両親の命を奇跡的に救ったと今でも思っています。 “3.11”の続きを読む

久しぶりに250kgのトレーニング

久々の青空。夕焼けの弊社・一関工場の空
久々の青空。夕焼けの弊社・一関工場の空

今日は、一日工場の中に入り製造です。私の仕事は、小麦粉を練り、製麺までが担当です。その後の茹で工程や、包装は従業員に任せますが、一番重要な小麦粉を練る工程は私か会長(私の父)しか出来ません。今日は、久しぶりに会長と母親が工場に来て手伝っていきました。何歳になっても子供は子供なのでしょう。いまだに口うるさく指示します。しかし、言っていることは納得することばかりです。その辺は私よりも経営者として実績が長い分当然といえば当然です。 “久しぶりに250kgのトレーニング”の続きを読む