今日のニュースで、東京で桜の開花宣言がだされたようです。去年より5日早いそうですが、やはり今年は暖冬だったのでしょう。
当地方でも今年は早めに桜前線が到達しそうですが、被災地には桜前線ならぬ吉報が飛び込んできました。甲子園球場で行われている春のセンバツで、岩手県釜石市の釜石高校が同じ21世紀枠で出場した小豆島高校を2対1の接戦の末、甲子園初勝利を挙げました。 “東京は桜の開花宣言。甲子園でも・・・。”の続きを読む
今日のニュースで、東京で桜の開花宣言がだされたようです。去年より5日早いそうですが、やはり今年は暖冬だったのでしょう。
当地方でも今年は早めに桜前線が到達しそうですが、被災地には桜前線ならぬ吉報が飛び込んできました。甲子園球場で行われている春のセンバツで、岩手県釜石市の釜石高校が同じ21世紀枠で出場した小豆島高校を2対1の接戦の末、甲子園初勝利を挙げました。 “東京は桜の開花宣言。甲子園でも・・・。”の続きを読む
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われていますが、今日は春分の日です。吹く風はまだ冷たかったのですが、やはり日差しは冬のそれとは比べものにならない位、力強いものがありました。
今日は我が子がお世話になっている、サッカーのスポーツ少年団の卒団式でした。 “卒業式にも勝るとも劣らない卒団式”の続きを読む
今日、岩手の地元紙を見ていたら、「老舗百貨店復活か」と見出しが目に飛び込んできたので、記事をよく読んでみると、岩手県花巻市の老舗百貨店のマルカンが、一度は廃業を発表したが、別の会社が引き継ぎ営業を再開できないか検討するという記事でした。 “2016年3月19日(土)”の続きを読む
「校庭の桜のつぼみも心なしか膨らみ始めた、今日の良き日に、卒業を迎えられた6年生のみなさんおめでとうございます。」とはじまった校長先生の式辞。我が子の卒業式。経験のあるかたは身に覚えがあるとおもいますが、当事者の親としましては、うれしいなかにもなぜが一抹の寂しさがあるものですね。 “卒業”の続きを読む
今日の弊社・一関工場付近の最高気温は15℃まで上がり、桜の開花の頃の陽気になりました。今年は桜前線の北上も例年になく早まるのではないでしょうか。
今日の丸光の工場内は焼そば一色に染まりました。というのも業務用の焼きそばが200kgあまり注文が入ったからです。 “名古屋からの暖かいご支援”の続きを読む
今日の弊社、工場近辺は最高気温が10℃以上になり、暖かさを実感できる一日でした。明日はさらに気温が上昇するとのことです。暖かくなると気分も軽やかになります。
軽やかになったからではありませんが、今日は一関駅周辺に用事があり、車を爽快に走らせていました。途中に岩手県一関市、平泉町をエリアとする、「JAいわて平泉」のATMがありましたので通帳記帳しました。そしてもう一冊、弊社には違うJAの通帳があります。 “農協さんへのお願いです。”の続きを読む
今日は盛岡のホテルでジェトロ盛岡主催の外国バイヤーとの商談会が開催され、出席してきました。この商談会は事前に出展を希望する食品製造企業と仕入を希望するバイヤーとの間で希望商品をすり合わせて、マッチした企業同士が商談を行うスタイルのため中身の濃い商談会として定評があると聞いていました。 “外国バイヤーとの商談会”の続きを読む
今日、テレビで広島の中学生が間違った補導歴を苦に自殺した事件が特集で報道されていましたが、信頼しているはずの学校がヒューマンエラーや連絡ミスにより本当に間違った履歴を残し、担任がそれを信じ死んだ生徒に対応していたことが、あまりにもズサンで、あってはならないことだと、4月から息子が中学校に入学する親としてものすごい憤りを感じました。もしも我が子の身に起こったらと全国の同年代の子供をもつ親は考えたことだと思います。学校の内申書に悪く書かれることで高校進学ができなくなり自ら命を絶つ選択をした彼の胸の内を思うと胸が張り裂けそうになるのは、私だけではないはずです。 “ひとごとではない広島の中学生自殺問題”の続きを読む
昨日はあの震災から丸5年の日を迎え、各地で哀悼の様々な行事が行われました。しかし、一夜明けた今日はまた、何事もなかったかのような日常が戻ってきました。 “気仙沼の高層住宅”の続きを読む
絶望の日。決して忘れることのできない日。生きていることに感謝する日。人生が劇的に変わった日。思い出したくない日。etc・・・・・。今日という日を形容する言葉は人それぞれだと思います。
一言で表すのは非常に難しいのですが、あえて表現するとすれば私の場合「生かされた日」になると思います。当日のことをよく思い出してみると本能なのかはわかりませんが、全ての行動が生き抜くために行動していたように感じます。当時は私は専務の役職でしたが、今でも地震後の判断は間違っていないと確信していることが一つだけあります。それは、全従業員と両親を助けたことです。今までに経験したことのない地震の揺れにより必ず津波が来ると直感し、工場内にいる従業員が心配になり様子を見に行くと、機械は横転するは、天井は落ちてくるは、床は亀裂が入るやら、悲惨な状況でした。後片付けには何日かかるだろうという状況でしたが、従業員に対して「一切手をつけるな!今すぐ自宅に帰りなさい」と指示したことです。この一瞬の素早い対応が弊社の全従業員が一命をとりとめる結果となりました。そして、私の両親も地震で腰を抜かしていたのですが、なんとか車で逃がして事なきを得たのです。気仙沼の丸光製麺(当時は丸光食品)の周りには住宅や水産会社など所せましと密集していましたが、後に聞いたところ、どの家もどの会社も誰かしらお亡くなりになっているとのことでした。私は会社にいた全従業員と両親の命を奇跡的に救ったと今でも思っています。 “3.11”の続きを読む